天保6年(1835年)7月19日―27日 松平家の碁会にて
黒・赤星因徹 白・本因坊丈和 (170手まで以下略 白中押し勝ち)

本来名人となれば生涯名人で、どんなに強い相手がいても勝負碁は打たないものですが、幻庵因碩必死の工作で実現した一局です。
丈和を勝負の場に引きずり出した幻庵は弟子の赤星因徹を立てました。八段の自分が勝つより七段の因徹が勝つ方がダメージを与えられるうえ、日の出の勢いの因徹なら勝てると踏んだからです。
序盤黒33が井上家門外不出の妙手と言われ、見事に成功して黒49まで因徹がリードします。しかしその後堅くなり因徹に疑問手が続きます。もつれたところに白68、70そして白80が丈和の3妙手。白68、70は黒の味悪を衝いて先手で右下を補強し、72の大きな打ち込みに回りました。白80の攻めで黒は薄い形になり、黒107が敗着と言われます。上辺を守って黒もやれました。白108以降は丈和の一方的な攻めを見るばかりとなりました。
弘化3年(1846年)7月21日 浪華天王寺屋辻忠二郎宅にて
黒・安田秀策(本因坊秀策) 白・井上幻庵因碩 (127手まで以下略 黒2目勝ち)

碁聖秀策は当時18歳。井上家の重鎮幻庵因碩を相手に天才ぶりを見せつけます。
幻庵因碩は大斜定石を得意とし、この碁でもうまくたちまわります。右辺でも白96から白104と見事な捨て石で中央が手厚くなり、優位に碁を進めます。
白126と下辺黒を狙った時の黒127が耳赤の一手。この手を打たれた幻庵はその妙想に動揺し耳が赤くなります。これをたまたま盤側で見ていたお医者さんが「私は碁のことは分からないが、不意のことがあって耳が赤くなるのは動揺した証。幻庵殿の形勢容易ではないのでは」と秀策の勝ちを予言したことからその名前が付きました。
寛文10年(1670年)10月17日 御城碁
黒・安井二世算哲(渋川春海) 白・本因坊道策 (黒113手まで以下略 白中押し勝ち)

のちの天文方渋川春海が初手天元を試したことで有名な一局です。碁の内容としては天元の石をうまく活かせなかった印象で白56が絶好の千両マガリ。これを打たれては天元が色褪せて黒ダメです。黒53ではなんとかそれを防ぐ方策を探るべきでした。
文化9年(1812年)4月2日―9日 彦根候邸にて
黒・安井知得 白・本因坊元丈 (黒69手まで以下略 黒中押し勝ち)

「ダメの妙手」は元丈知得のライバル対局で最も有名な碁です。黒69がその場面。白から69と切る手はなく手を抜けるところですが、敢えてしっかり守ることで利き筋をなくし盤石の態勢を築きました。一種の本手ですね。
天和3年(1683)11月19日 御城碁
黒・安井春知(2子) 白・本因坊道策 (黒132手まで以下略 黒1目勝ち)

安井春知もかなりの打ち手で、その2子をこなしたことで道策自身が生涯最高の一局として挙げたと言われています。とにかく明るい見事なサバキが素晴らしく、棋譜を並べる際には左下白のサバキにぜひ注目です。黒の春知も120が妙手で盛り返し、黒も見事なものです。相手がしっかり打った上でさらに自分も思う存分打てた。というわけでこの碁を挙げたのでしょう。以降の棋士たちも2子を置かせて1目負けの碁を生涯の一局とする伝統が生まれました。
承応2年(1653年)10月17日 御城碁
黒・本因坊算悦 白・安井算知 (黒157手まで以下略 黒6目勝ち)

史上初の争い碁であり、江戸初期の対局です。すべてが御城碁で打たれ、それゆえに年1局ペースという気が遠くなる長い時間をかけた争い碁でした。どちらも先番を守り3勝3敗で進み算悦が倒れたため終わるのですが、その最終局となったこの対局はなかなか劇的な碁となります。
序盤から白算知の構想が見事で、現代の碁と言われても違和感のない碁です。中盤も激しい攻防が続く中わずかに白がリードを奪う場面もありました。
黒119に白120が敗着。後の黒127の妙手を見損じしたもので左下が手になっては黒の勝ちが決まりました。
この碁を算知が勝っていれば、算悦亡き後すぐに名人に推されていたことは間違いありません。実際は名人になるのに10年を要し、その時には本因坊家に道悦、道策といった天才が育っており結局再度争い碁を打つこととなりました。そういった意味でも歴史のターニングポイントとなった一局です。
嘉永4年(1851年)10月22日 阿部甚三郎邸にて
黒・本因坊秀策 白・本因坊秀和 (黒123手まで以下略 黒4目勝ち)

江戸時代の集大成のような師弟対決で、質の高い名局ぞろいです。
とはいえ勝負碁を打つ関係ではないのでどの碁が一番有名かは難しいところでした。この碁はとにかく秀和の大模様が目をみはります。右下の定石から派生した捨て石も面白く、白72、74もすごく現代的ですね。『ヒカルの碁』で有名なシーンは黒75手目。ぜひ盤に並べて楽しんでもらえたらと思います。
宝永2年(1705年) 御城碁
黒・本因坊道知 白・安井仙角 (281手完 黒1目勝ち)

当時四段だった道知の昇段に異議を唱えた仙角との間で打たれた争い碁です。
仙角もかなりの実力者ですが、とはいえ天才道知の才能は凄まじく棋力は上回っていました。ただこの碁では体調を崩し本来の碁が打てません。かなり苦しい展開が続くなかでなんとか追い上げ、最終盤黒227がヨセの妙手と伝えられます。先手で235のヨセを打ったことでついに逆転し黒番1目勝ちを収めました。自らの勝ちを信じ切っていた仙角は整地した結果を信じられず、3度並べなおしたと伝えられます。
天保11年(1840年)11月29―12月13日 稲葉丹後守邸にて
黒・本因坊秀和 白・井上幻庵因碩 (黒101手まで以下略 黒4目勝ち)

丈和が引退し、いよいよ名人を志した幻庵を阻止するために秀和が受けて立ちます。
黒49は、普通は悪手とされる手ですが、この場面ではこの一手の好手。沈着な秀和を崩そうと幻庵は必死に打ち進めますが最後までリードを守り切りました。
個人的には黒97、99も絶妙だと思います。
貞享4年(1687年) 11月8日
黒・本因坊道策 白・小川道的 (112手まで以下略 黒1目勝ち)

神童道的が師の道策に白を持った衝撃の一局です。道策先生としてもさすがにまだまだ黒を持てば勝負にならないだろうと思いきや、手厚い打ちまわしであと一歩のところまで迫られました。当時まだ19歳。返す返すも早逝が惜しまれます。
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