江戸時代の囲碁史は「名人碁所」の地位を巡る権力闘争であると言っても過言ではありません。盤上で競い合うだけでなく、盤外で様々な駆け引きが行われてきました。
その中にあって、本因坊元丈と安井知得仙知の関係は奇跡的でした。2人は共に名人をうかがえる実力を持ちながら互いにそれを望まず、ただひたすら棋道に邁進したのです。それは碁界にとって僥倖でした。2人による良質な棋譜で周囲の人々が勉強できただけでなく、両者の良好な関係によって交流が進み、本因坊丈和や太田雄蔵ら天保四傑など、多くの名棋士が育っていったからです。
マンガ『ヒカルの碁』の桑原本因坊の名言「1人の天才だけでは名局は生まれんのじゃ。等しく才長けた者が2人いるんじゃよ」が現実の世界で最も当てはまるのは元丈と知得かもしれません。今回の「古碁探訪」では碁の理解を促進し、後進を育て、丈和に始まり秀策へと続く黄金期の礎を築いた大棋士2人、元丈と知得の世界を寺山怜六段に案内していただきます。
その中にあって、本因坊元丈と安井知得仙知の関係は奇跡的でした。2人は共に名人をうかがえる実力を持ちながら互いにそれを望まず、ただひたすら棋道に邁進したのです。それは碁界にとって僥倖でした。2人による良質な棋譜で周囲の人々が勉強できただけでなく、両者の良好な関係によって交流が進み、本因坊丈和や太田雄蔵ら天保四傑など、多くの名棋士が育っていったからです。
マンガ『ヒカルの碁』の桑原本因坊の名言「1人の天才だけでは名局は生まれんのじゃ。等しく才長けた者が2人いるんじゃよ」が現実の世界で最も当てはまるのは元丈と知得かもしれません。今回の「古碁探訪」では碁の理解を促進し、後進を育て、丈和に始まり秀策へと続く黄金期の礎を築いた大棋士2人、元丈と知得の世界を寺山怜六段に案内していただきます。
(1)本因坊元丈と安井知得仙知はどのような人物だったのか
- ―― 第50期名人戦七番勝負の特集記事で一力遼名人と芝野虎丸棋聖を「現代の元丈・知得」と紹介しているのを見ました。
- 寺山 その記事を書いた朝日新聞の大出公二記者は古碁好きです。名人の器でありながら名人になれなかった、もしくはならなかった4人の棋士を「囲碁四哲」と呼びますが、元丈と知得は2人とも四哲に数えられています。そして、2人は生涯にわたってお互いを尊重し、切磋琢磨し続けました。古碁ファンとしていいライバル関係をみると「元丈・知得」と言いたくなる気持ちはよく分かります。
- ―― 古今東西ライバル関係はいたるところにあると思いますが、なぜこの2人の関係はそんなに特別視されているのでしょうか。
- 寺山 理由は大きく3つでしょうか。1つ目は2人がまったくの同世代だったこと。2つ目は2人の関係が良好で互いに尊重しあっていたこと。3つ目は互いに名人位を望まなかったことです。
- ―― つまり、2人は同世代のトップ棋士同士だったけれど、仲が良かったということですね。
- 寺山 簡単に言ってしまえばそうですが、それは結構奇跡的なことです。まずは年齢ですが、好敵手の例はたくさんあっても、同世代に限ると一気に少なくなります。例えば、一力さん、井山さん(井山裕太碁聖)は8歳差、一力さんと芝野さんは世代が近いとはいえ約2歳半差です。元丈が生まれたのは1775年で知得が1776年。まったくの同世代で、幼少期から切磋琢磨していました。
- ―― 言われてみると、本因坊丈和と井上幻庵因磧は11歳差、木谷實九段と呉清源九段は5歳差、意外と同世代のライバルは少ないかもしれませんね。
- 寺山 2つ目の「良好な関係」ですが、これもトップ棋士同士では難しいと思います。競っているわけですから、心の底では認めていても、仲良くできるかと言われるとそういうものでもないでしょう。ちなみに、元丈は武家の四男で、知得は漁師の息子でした。生まれも育ちもまったく違う2人の馬が合うというのもそうあることではないと思います。
- ―― 2人はどのような人柄だったのですか。
- 寺山 元丈は知的かつ穏やかな人で、知得はやや厳格で理想が高い人だったのではないかと思われますが、2人の人柄を伝えるようなエピソードはあまり残っていません。つまり、2人ともきちんとした人だったということです。以前も言ったかもしれませんが、エピソードが豊富な人というのは大抵少々問題のある人で、人格者だと「立派な人だった」の一言で済まされてほとんどエピソードが残りません(笑)。
- ―― なるほど(笑)。
- 寺山 3つ目の「互いに名人位を望まなかった」ですが、この点が最も特異だと言えるでしょう。というのも、江戸時代の名人位は実力第一位を示すだけでなく、政治的な頂点でもある碁所とセットになっていたからです。待遇も名誉も桁違い。普通に考えれば誰もが喉から手が出るほど欲しい地位です。
- ―― なぜ、2人は名人位を望まなかったのでしょうか。
- 寺山 「名人は天下に一人」という考え方が大きかったと思います。元丈も知得も実力を見れば明らかに名人の器でしたが、同等の人が2人いる。それなら、名人は空位としましょうという事だったのでしょう。
- ―― なんだか残念ですね。
- 寺山 そうでしょうか。私は2人が消極的な気持ちで名人位に就こうとしなかったのだとは思いません。たしかに「名人は天下に一人」かもしれませんが、本気で望めばいくらでもやりようはあったと思うからです。例えば、1歳年上の元丈が先に名人になって後で知得に譲るというのはあり得たシナリオでした。しかし、2人がそれを良しとしなかったのは、心からお互いを認め合っていて、しかも名人位を神聖なものと受け止めていたからでしょう。実際、知得は丈和と幻庵の名人位をめぐる暗闘に激怒したと伝えられています。
- ―― なぜ「元丈・知得」が今でもいいライバル関係の代名詞に使われるかがよく分かりました。ところで、丈和の師匠である元丈は丈和の野望をどんな風に受け止めていたのでしょうか。
- 寺山 元丈は比較的早い段階で家督を丈和に譲って引退していました。そのため、名人位をどうするかについても、「引退した私が口出しをすることではない」と一切何も言わなかったそうです。
- ―― 知得は高潔で立派ですが、元丈の一線を引く態度も立派ですね。
- 寺山 そうですね。ちなみに、2人の良好な関係は弟子たちにも受け継がれました。本因坊家と安井家は元丈と知得が退いてからも仲が良く、頻繁に交流していたようです。当然、切磋琢磨する相手は多ければ多いほどレベルも上がります。さらに、2人は師匠としても優秀だったので、丈和、安井算知、太田雄蔵ら名棋士を次々と輩出しました。俗に丈和から秀策までの時代を「黄金期」と呼びますが、この土台をつくり上げたのは元丈と知得だったのです。
(2)元丈・知得はどのような棋風だったのか
- ―― 元丈と知得の棋風を教えてください。
- 寺山 元丈は厚み派で、中央志向。知得は実利志向の本格派。好対照だったと言えます。『日本囲碁体系』で元丈は武宮正樹九段が、知得は「忍の棋道」と称された中部の島村俊廣九段が解説をされています。この人選は多分に棋風で選んでいると思いますよ。
- ―― 忍の棋道・・・。現役だと志田達哉八段のイメージですか?
- 寺山 とても近いと思います。面白いのは知得の師匠、安井仙角仙知(大仙知)は元祖宇宙流とも言える人物だったという事です。多くの芸能では家の流派は師匠から弟子へと伝えられるものだと思うのですが、囲碁にはそうした慣例がこの当時からまったくなかったと分かります。
- ―― むしろ、他家の元丈の方が仙角の棋風を受け継いだのですね。
- 寺山 知得はヨセ勝負が得意で戦いを好みませんでしたが、弟子で息子の算知は大変な豪腕でした。囲碁は本当にその人なりで自由だなと思います。
(3)元丈・知得の代表局
- ―― 元丈・知得は生涯のライバル。棋譜はたくさん残っていそうですね。
- 寺山 膨大に残っていますね。天豊道場(藤澤一就八段の道場)にいた頃、弟弟子の本木克弥九段が黙々と『元丈・知得全集』を並べているのを見ました。古碁が好きな私にとっても、解説のない棋譜だけの全集を並べるのは相当根気のいることです。「すごいな」と思いつつ、自分は結局その全集には手を出せずに終わってしまいました。
- ―― 本木九段は「元丈・知得」が好きだったのですか。
- 寺山 そうかもしれませんが、よく分かりません。何を思って並べていたのか聞いてみたいところです。
- ―― 代表局を教えてください。
- 寺山 2局紹介したいと思います。1図は元丈の名局。2図は知得の名局です。特に2図の知得の名局は非常に有名な碁ですので、ぜひ知って欲しいと思います。
- ―― なぜ有名なのですか。
- 寺山 この碁の69手目は知得の「ダメの妙手」と言います。相手から切れない場所にツイだ一見無価値の手ながら、のちの味をすべて消して打ちやすくする知得の真骨頂とされる手です。私からすると秀策の「耳赤の一手」の次くらいに有名な歴史的な手なのですが、意外と知られていなくて驚きました。
- ―― 「ダメの妙手」覚えました!
- 寺山 古碁好きとしては、歴史的に有名な棋士や碁、手は一般教養としてみなさんに知っていて欲しい気持ちがあります。「ダメの妙手」はその代表例なので、ぜひ覚えて古碁を身近にしていっていただきたいと思います。
記・品田渓
1図 1799年 黒・中野知得(安井知得仙知) 白・本因坊元丈 (106手以下略、白10目勝ち)

2図 1812年4月 黒・安井知得仙知 白・本因坊元丈 (69手以下略、黒中押し勝ち) 黒69がダメの妙手

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