碁の神様にいざなわれて(3部)~呉清源九段の死と新たな時代の幕開け【コラム:品田渓】


  • * 呉清源九段の晩年を助手として支えた牛力力(にゅう・りーりー)さんの娘、牛栄子四段第7回扇興杯女流囲碁最強戦で初優勝を果たした。牛家のファミリーヒストリーから浮かび上がってくる呉九段の姿とは。1部では力力(りーりー)さんが呉九段の助手になった過程を、2部では呉九段と牛扇興杯の交流を追った。3部では力力さんが見た呉九段の最後を描く。

 呉九段について語る時、力力さんは何度も「不思議な方」と言った。江戸時代からほとんど変わらなかった碁の常識を打ち破り、圧倒的な強さで碁界の頂点に君臨した呉九段が存命中から「神様」と呼ばれたのはその強さゆえだけとは言えないだろう。呉九段はどこか深淵で神秘的だった。その独特な雰囲気が人々にそう呼ばせたのだ。
 力力さんの記憶にある呉九段は既に現役を引退した70代以降の姿だ。それでも呉九段は常に碁に対して純粋な探究心を持ち続けていた。いつ何時でも最善を考え、何ヶ月も前に議題にあがった局面を覚えていてふとした時に新たに良い手が浮かぶと嬉しそうに披露した。時には「夢でいい手を発見した」と布団を抜け出して並べ出すこともあった。年齢を重ね、90歳を過ぎても探求への情熱を失わない。その圧倒的なエネルギーは接する人に強い衝撃を与えた。
 他にも呉九段には常人ではないと思わせる凄みがあった。その一つが四書五経(儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経)を完全に暗記していたことだ。呉九段が91歳の時、国際戦の審判として北京を訪れると、中国古典の研究者が呉九段に会いたいと問い合わせてきた。力力さんは面会に立ち会って驚いた。専門的な知識はないから細かいことは分からない。それでも、会話の中で古典をすらすらとそらんじる呉九段の凄さはわかった。「相手は研究をされている専門家の方です。でも、その方は呉先生のように暗記はされていなかった。先生が4歳の頃から四書五経を勉強されていたのは知っていましたが、あのお年でなお全てを鮮明に覚えてらっしゃるのには本当に驚きました」。

 2014年、力力さんが呉九段の助手になってから20年以上が経ち、呉九段は100歳になっていた。11月16日、力力さんは呉九段の病室に依頼を受けた新聞記事の取材のために訪れた。取材が終わり、「今度、北京で開かれる先生の100歳記念パーティーに出席してきます。何か皆さんにお伝えすることはありますか」と聞くと、呉九段は「謝謝」と中国語で感謝を述べた後、「ありがとう」と日本語でも感謝を伝えた。
 11月23日、北京で呉九段の100歳記念パーティーが行われ多くの関係者やファンから祝福された後、11月30日に永眠。牛力力さんは回想する。「先生は70代の頃から『私は100歳まで生きるよ』とおっしゃっていました。私が『100歳以上生きるよとおっしゃったらいかがですか?』と言うと『いいや、100歳まででいいんだよ』とおっしゃった。そして予見されていたかのように、記念パーティーも何もかも終わったと同時に100歳で亡くなられました。あの時の取材で、中国語で『謝謝』とおっしゃってからあえて日本語でも「ありがとう」と感謝の言葉をおっしゃった。その先生のお言葉が私にとって最後の先生のお言葉になりました。今思えば、ご自身の死を悟られた先生の遺言だったのではないかと思います」。

 呉九段が永眠してから1年と少し後、2016年3月、アルファ碁がイ・セドル九段と五番勝負を行い4勝1敗で勝利した。時代は一気に様変わりし、AI時代へと入っていく。「アルファ碁は強くなる過程で多くの棋譜を読み込んでいるのですが、その棋譜の中で最も多く読み込んだのが呉先生の棋譜だそうです。もし先生が今のAIの棋譜をご覧になったらなんておっしゃるだろうかと考えることがあります」。
 2018年、力力さんはアルファ碁を開発したディープマインド社のイギリス本社を見学しに行った。呉九段によって大きく変革した碁の考え方は再び転換期を迎えている。機械が人智を超える時代を、碁の神様はどう見るだろうか。人が自らの知恵を頼りに道を切り拓いていく時代の終焉を嘆くのか、あるいは新たに最善を考える材料が増えたことを歓迎するのか。取材の最後に力力さんは穏やかな表情で言った。「あれだけ探求に情熱を注がれた先生のことです。今も宇宙の星を碁石に見立てて研究されているような気がしてなりません」。

記・品田渓


2001年、力力さんの地元ハルビン市で『21世紀の碁』を披露する呉九段。


2004年、ビデオ講座収録の様子。