痛みを乗り越えて―加藤千笑二段挑戦の物語(後編)【コラム:品田渓】


  • * 前編では「骨形成不全症」という障がいを持つ加藤二段が生まれてから囲碁に出会い、全国大会で優勝するまでを描きました。

 全国大会で優勝した加藤は羽根直樹九段に弟子入りすると同時に、念願の院生になった。「直樹先生がお忙しい時には泰正先生(羽根泰正九段)にもよく教わっていました。お二人の先生には本当によくしていただきました」と裕子さんは振り返る。
 プロになるための環境を手に入れた加藤は貪欲だった。院生研修の他にもほとんどの研究会に参加し、手合の記録係も積極的に務めた。研修が終わってから直樹九段にその日打った碁を見てもらうことも多く、夜遅くなる日も度々あった。
 体力的にハードな毎日だったが、ちょうど院生になる頃に行った点滴治療が功を奏し、骨が少し強くなったのが幸いだった。あれほど折れやすかったのが、その治療を境に折れなくなったという。

 平成30年度の女流棋士採用試験を11勝0敗で終え、加藤は16歳で遂に念願のプロ棋士になった。当時のインタビューで加藤は「何度も諦めそうになったけど、できないことも多いからこそ、私にはこの道しかないと思って頑張りました」と話している。16歳の入段は決して遅くないが、院生になった年から欠かさずプロ試験を受けていた加藤にとっては、4年の歳月が長く感じられたのかもしれない。

 プロになってからは囲碁以外の楽しみも増えていった。音楽を聴いたり、ファッション雑誌を読んだり、家族で韓流ドラマを観たり。棋士仲間とカラオケに行ったりもした。
 趣味が増えて世界が広がったが、やはり生活の中心は囲碁。何か息抜きをするときは、あらかじめ時間を決める。たとえば、この雑誌を10分読もうと決めたら、タイマーを10分後にセットする、というように。自分で設定した時間は守ると決めている。だから、タイマーが鳴れば必ずそこで息抜きは終わらせる。
 毎朝6時半に起きて、自分が決めたメニューに沿って囲碁の勉強をしていると、時間はあっという間に過ぎていく。やりたい勉強は無限にあるのに1日は24時間しかない。裕子さんは「1日中家にいるのに、よく『忙しい忙しい』と言っています。何がそんなに忙しいのかしら」と言って笑った。

 今年は加藤にとって、飛躍の年になった。女流立葵杯の本戦でベスト4に入り福島へ行ったし、広島アルミ杯の本戦に入って、広島にも行った。街中は段差が多く、一人で移動するのは難しい。裕子さんはどの手合にも車椅子を押していき、対局中は少し離れたところでそっと見守った。
 加藤が最もタイトルに近づいたのは今期の女流棋聖戦だ。本戦で小山栄美六段藤沢里菜女流本因坊佃亜紀子六段を破って、挑戦者決定戦にまで勝ち上がった。最後は鈴木歩七段に負けてしまったが、勝った相手は誰もが一流。特に藤沢女流本因坊は今年国内の女流棋戦で負けなしだったのを加藤が初めて土を付ける大金星だった。
 加藤の棋風は自然体で我慢強い。加藤の生き方をそのまま表したような碁だ。今年を振り返ってどんな1年だったのかを聞くと「いろいろな棋戦で上に行けて、収穫の多い1年でした」と手ごたえを語った。「私にはこの道しかない」と信じ、積み上げてきた努力が結果となって表れつつある。今年の収穫を糧に、来年はさらに実りの多い年になるに違いない。


記・品田渓

第25期ドコモ杯女流棋聖戦で藤沢里菜女流本因坊を破り、大金星を挙げた。


平成30年(2018年)の合同表彰式にて、新入段の免状を授与される。


第8期会津中央病院・女流立葵杯の本戦ベスト4に進出し、福島県会津若松市を訪れた。