AIの手は正解なのか~大橋拓文七段と考えるAIとの付き合い方「つるりん式観る碁のすすめ~こぼれ話」


 ここでは週刊碁連載中の「つるりん式観る碁のすすめ~四字熟語編」で書ききれなかったこぼれ話を紹介します。(つる=鶴山淳志八段、りん=林漢傑八段

 今回はアカデミックなピアノ奏者(?)、スペースマンこと大橋拓文七段をご紹介しました。大橋七段のピアノの腕前はおそらく棋界NO1。そして、囲碁AI(以下AI)に関する幅広い知識と関心はもはやAIが繰り出す着手の是非にとどまらず、AIに限界はあるのか、AIは最善をどう定義しているのかなど、科学的、哲学的な領域にまで発展しています。




 AIが身近なものになって久しい昨今では、着手の正解といえばAI。強さの基準といえばAIとの一致率になっています。しかし、AIは本当に「正解」なのでしょうか。AIとの一致率を上げることが最善を尽くすことにつながるのでしょうか。
 本コラムではそれらの疑問を大橋七段にぶつけ、AIの現在地を探りました。あまりにも強く、絶対的に見えるAI。そのAIが示す一手は果たして神の一手になり得るのか。深淵なAIの世界の一端を垣間見ていきましょう。

(インタビュア=編集K)

  • ― 大橋七段、本日はよろしくお願いいたします。
  • ○ よろしくお願いいたします。
  • ― 早速、AIについて伺っていきたいと思います。アルファ碁が登場して7年以上経ち、AIがすっかり身近なものになりました。棋士の方がAIを用いて研究するのはもはや常識ですし、対局中継ではAI評価値(黒白双方の勝つ確率を統計的に示したもの)が表示されたり、AIによる推奨手が表示されたりします。振り返ると私は普段観戦をする中で、無意識にAIは「正解」と捉えてしまっていることが多いですが、実際のところ、AIの着手はいわゆる「正解」なのでしょうか?
  • ○ 難しいところですよね。まず、「正解」が何なのかということを定義しないといけません。多くの場合、人が打つよりも精度が高くて勝てる手を示しているという意味では「正解」に近いとは言えると思います。
  • ― 「正解」ではなく「最善」ではいかがでしょうか。大橋七段はAIの示す手が「最善」だと思われますか?
  • ○ 人がどう受け取るかは横に置いて、AIに「最善」という概念はないんです。それに、何が「最善」かは、結構難しいと思いませんか?例えば、最短手数で勝つのと、最大目数で勝つのはどちらが最善だと思いますか?
  • ― ・・・。確かに、言われてみると両方とも「最善」の考え方に当てはまりそうな気がしてしまいます。
  • ○ 先ほどAIには「最善」という概念はないと言いましたが、AIが着手を選ぶ時にどんな「勝ち」を目指しているのかというのはあります。そして、その「勝ち」をどう設定しているかというところにAIの個性が出るんです。実際にはプログラムしている人間の考えが反映されているのですが。
  • ― どういうことでしょうか。
  • ○ 例えばアルファ碁は最終的に「勝つ」ことだけを目標として設定していたので、リスクの高い手は避けて半目勝ちを目指す傾向がありました。人の目から見て明らかに損でもより安全ならそっちを選んでしまう。でも、その後、「勝つ」から「より大きい目数で勝つ」ことを目指すAIが出てくるようになりました。もっともこれもコロンブスの卵で、より大きい目数で勝ちを目指したAIの方が強くなったからそうしただけで、大きい目数で勝つAIを作りたいかというとそうでもない。まあそのような流れで現在のAIは、アルファ碁の時代よりもハイリスクハイリターンの手を選ぶようになってきたんです。
  • ― 人の棋風のようで面白いですね。
  • ○ さらにいうと、序盤の相手の打ち筋で相手の棋力を推定し、「棋力が低い」と判断すると相手が咎められないことを前提とした無理な打ち方をするAIも現れました。もちろんこれはそのようにプログラムされたからそうなっているだけなのですが、された方はまるでヒカルの碁のダケさんさながら、見透かされたようだと感じてしまうと思いませんか?
  • ― 思います。AIに人格がある!と思ってしまいそうです。
  • ○ 僕もそう感じてしまいそうになるんですけど、これはただの計算の結果なんだと言い聞かせて冷静になるようにしています(笑)。
  • ― 少し話題は変わりますが、よく「AIによって打ち方が広がった」という方と「AIによって打ち方が狭まった」という方がいますよね。大橋七段はどう思われますか?
  • ○ 長い目で見れば広がっていると思います。ただ、過渡期においては狭まったように見えると思います。
  • ― どういうことでしょうか。
  • ○ そうですね、AIは自己対戦で強くなります。もし、同じ棋力の同じ棋風の人とばかり何千局、何万局と打っていたら、どんな風に強くなると思いますか?
  • ― ・・・普通に強くはならないんですか?
  • ○ 棋風が同じ人とばかり打っていて、全体的に強くなれますか?
  • ― あっ、理解しました!確かに、同じ棋風の人同士でずっと打ち続けていたら、同じような布石ばかり打ってしまうし、その布石だけが得意になって他の打ち方を試そうと思わなくなってしまうかもしれません。
  • ○ そうなんです。コンピュータ任せの自己対戦では同じことばかり何万局も打ったりしています。賢いのかそうでもないのかよく分からない(笑)。たしかに、アルファ碁ゼロのように汎用AIの研究として開発する場合は、コンピュータ任せの自己対戦が重要です。しかし、囲碁が強いAIを開発するという点では、現時点では、人の手を入れて学習の幅を広げるように調整しています。例えばKataGoでは、人為的に多様なデータを与えているようですね。これはKataGo公式サイトで見ることができます。実際に今の囲碁AIは布石のバリエーションも少しずつ増えているようですね。
  • ― AIはよく即三々入りを打ちますが、それはもしかしたらいい手だから選んでいるのではなく、何度も打っている形だから打っているに過ぎないかもしれない。AIが強くなれば今のAI定石とは違う打ち方が増えて布石が多様化するかもしれないということですね。
  • ○ そういうことです。もう一つ、今の話と関連することでもあるのですが、AIは「人間のように認識していないし、理解もしていない」ということを強調しておきたいです。アルファ碁が出てきた時、シチョウや石塔シボリが苦手だったのを覚えていますか?
  • ― はい。こんなに強いのにシチョウが分からないなんて!と思いました。
  • ○ 今のAIは人の手によって苦手な形をプログラムしているので、シチョウもできるようになっていますが、あんなに簡単なことが手を加えないとできないことが不思議に思いますよね。なぜ、そういうことが起こるかというと、AIはシチョウを認識していないし、理解もしていないからなんです。シチョウどころか、二眼生きさえ、完全には理解していないようです。
  • ― 詳しくお願いします。
  • ○ 人間は論理的に手を考えられますし、碁形の中から、シチョウの形をシチョウとして認識できます。この当たり前のことがAIはできないのです。できないというより、そもそものアプローチが違います。囲碁AIは自分が探索した範囲までが自分の世界で、探索が及ばない世界のことは分かりません。話を分かりやすくすると、例えば、手数の長いシチョウがあったとします。人間はシチョウの形を理解しさえすれば、それが100手でも同じパターンで最後まで追いかければ取れると分かります。しかしAIは「同じパターンを繰り返せば」という発想はなく、1手ずつ探索していくので、100手先まで読めば取れるシチョウも、50手で探索数が多すぎて力尽きてしまう、こんなことが起こるんです。つい先日、そうしたAIの弱点をつけば人間がAIに勝てることが話題になりました。実はAIは生き死にの概念も人間と違うようです。AIを錯覚させるために自分の石をAIの石で一周させるのですが、そうすると一眼でも生きていると思うようです。以前から探索の範囲内でポンと打ち上げられない石は生きていると錯覚することがあるという指摘はありました。しかし一周させることでここまで見事にハマるとは。この方法は、棋士よりもプロゲーマーの方が上手い(笑)。ちなみに人間であれば10級ぐらいの棋力の方でも簡単に見破れます。人間は二眼生きやセキ生きという概念を獲得していますが、少なくともAIは二眼生きを完全に理解しているわけではないことが示されました。
  • ― トップ棋士に簡単に勝ってしまうようなAIに「認識」も「理解」もないなんて衝撃的です。
  • ○ 本当にそうですよね。問題はAIの示す手を受け取る人間の方が、AIに認識や理解を感じてしまうことなんじゃないかと僕は思います。AIは学習した世界では人間以上に上手く対応できるけれど、学習していない世界の事は、人間にはとても簡単に見えることでも対応できないことがある。それを理解した上でAIと付き合うことが、大事なんだろうなと思いますね。
  • ― AIを絶対視しないことが大切なんですね。最後になりますが、これからAIとはどのように向き合っていったらいいと思いますか?
  • ○ 日々、いくつかのAIと対局しているのですが、現在の棋力としては人間よりも圧倒的に強いです。僕はコミ30目欲しい。フワッとした場面の形勢判断はとても正確ですし、ヨミが必要な中盤の競り合いでも、形勢判断よりは正確ではないものの、人間よりは正しいことが多いです。AIを使って勉強するのはとても有効だし、碁の可能性を広げることだと思います。一方で、AIが示しているから正解だと捉えるのは安易で、それが間違っているかもしれないし、そうでなくても、自分にはちゃんと打ちこなせるのか、つまり、AIの示した手が自分にとっていい手なのか、自分で判断しながら勉強していくのがいいのかなと思います。
  • ― 今、AI技術は囲碁以外の分野でも実用化が注目されています。今回のお話は囲碁AIソフトとの付き合い方はもちろん、今後身近なところでAIが普及してきた時、どう向き合えばいいかを考える上でもとても示唆的で勉強になりました。本日はありがとうございました。
記・編集K

  • * 近々、ユーチューブ「横浜囲碁サロン」チャンネルにて大橋拓文七段が最近話題のAI殺しについて語るそうです。ご興味のある方はぜひチェックしてみてください。