碁盤が映す人の心~映画『碁盤斬り』を観て【コラム:品田渓】


 正しいだけでは大切なものを守れないし、正しいことに唾を吐くと道を失う。5月17日(金)の公開を前に映画『碁盤斬り』(監督・白石和彌、脚本・加藤正人、主演・草彅剛)の試写会に行った私は、自分がどう生きてきたか、そしてどう生きていきたいのかを突き付けられたような気がした。



©2024「碁盤斬り」製作委員会

 元になっている古典落語『柳田格之進』を読んだ時は、正直なところ主人公、柳田格之進の行動にも娘、絹の行動にも納得ができなかった。曲がったことができない武士、格之進は囲碁仲間である萬屋の主人、源兵衛の番頭に大金を盗んだのではないかと疑われる。清廉潔白な格之進はいわれのない疑いを晴らすために切腹しようとするが絹に止められ、代わりに絹が遊郭に身売りし、お金を工面する。これが映画のタイトルにもなっている「碁盤斬り」につながる「事件」なのだが、現代に生きる私には「武士」という特殊な人の常軌を逸したこだわりに思えてならなかった。誇りと娘を天秤にかけて娘を売り渡す父親が清廉潔白で立派な人であるわけがないと、怒りを覚えたほどだ。
 しかし、映画を観終わった後は、格之進の行動も絹の行動も、その行動自体は何も変わらないのに、すべてが腑に落ちた。オリジナルストーリーによって格之進の過去が解き明かされ、格之進とは真逆の武士、柴田兵庫との対局が入ることで、特殊な「武士の誇り」の話ではなく、「普遍的な人の生き方」の話なのだと自然と思えた。

 物語は一貫して囲碁を中心に進んで行く。その存在感はほとんど主人公に匹敵するほどで、小道具の域を遥かに超えていた。盤面のアップが何度も映し出され、筋や戦略がストーリー上に大きな意味を持つ。特に格之進と兵庫の対局は迫力があり、終盤大石の生死をかけたシーンでは、映画の一部であることも忘れて思わず死活を考え込んでしまった。
 囲碁はいろいろな意味で人を映すゲームなのだと思う。実直な格之進が正統で美しい碁を打つように、棋風はその人のあり方を映すし、ある事件の真相を知った格之進の手が荒れたように、その人の心の状態を映すこともある。囲碁は2人で打つものだから、人と人との関わりを映すし、関わったことで生じたその人の変化も映す。勝ちに貪欲で下手イジメをしていた萬屋源兵衛は格之進と対局することで正しい手を心掛けるようになったし、頑固で決して変わらないと思われた格之進も、最後は宿敵兵庫の得意戦法を取り入れる。

 映画に関してズブの素人の私でも物語を集中して楽しめたのは、俳優陣が素晴らしかったからだろう。格之進が激昂するシーンでは背筋が凍り、親子の絆を断つシーンでは絹の健気さに心を打たれた。登場人物一人一人の心情が複雑さを保ったまま自然に入ってきて、本当にその世界にいたような気がした。特に、自分が碁を打つからか、対局でのちょっとした仕草や「碁会」に集う人々の反応に「ああ、分かるな」と感情移入する場面が多く、約2時間があっという間だった。加えて、井山裕太王座藤沢里菜女流本因坊といった名棋士の演技が観られるのも面白い。画面をよく観ていると、江戸時代のさまざまな「碁会」風景の中に、時折特別に強い打ち手がひっそりと紛れ込んでいる。

 3月6日(水)、映画に先駆け脚本を手がけた加藤正人氏による小説『碁盤斬り 柳田格之進異聞』(文春文庫)が発売された。囲碁愛好家の加藤氏は本作の脚本を監督、プロデューサーと話し合い、3年半かけて改訂を重ねてきたそうだ。小説では映画には描かれなかった格之進のその後も垣間見れると聞く。
 公式ホームページには「武士の誇りを賭けた〈復讐〉を描く、感動のリベンジ・エンタテイメント」とある。確かに、主題になっているのは武士の誇りであり、復讐だろう。しかし本作を観てきた私は「これは囲碁の映画だ」と自信を持って言える。格之進の生き様と同じくらい一本に貫かれた加藤氏の囲碁への愛が詰まった名作。囲碁愛好家ならば観に行かざるを得ない。

記・品田 渓

5月17日(金)TOHOシネマズ 日比谷他全国ロードショー

出演
草彅剛
清原果耶 中川大志 奥野瑛太 音尾琢真 / 市村正親
斎藤工 小泉今日子 / 國村隼
監督
白石和彌
脚本
加藤正人
音楽
阿部海太郎
公式HP
https://gobangiri-movie.com


©2024「碁盤斬り」製作委員会


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