寛蓮、井上幻庵因碩が囲碁殿堂入り


― 第13回囲碁殿堂表彰委員会で選出 ―
 7月19日、日本棋院において「囲碁殿堂表彰委員会」が開催され、第13回囲碁殿堂入りとして、寛蓮、井上幻庵因碩の2名が選ばれました。
 有識者、マスコミ関係者、日本棋院役員、棋士で構成された表彰委員会委員の内、出席された10名により、事前にノミネートされた候補者の中から投票により選出されました。
 囲碁殿堂入りを果たした寛蓮、井上幻庵因碩に対しては、顕彰レリーフを制作し、日本棋院会館地下一階の「囲碁殿堂資料館」にて展示を行う予定です。

1. 囲碁殿堂入り決定者の経歴と主な業績
寛蓮(かんれん)
 874(貞観16) 年-不詳  肥前国藤津郡大村(現佐賀県鹿島市)の生れと伝えられている。
 橘姓、名は良利。碁を堪能としたゆえに碁勢大徳の称があり、平安時代の囲碁の名人として後に「碁聖」と称される。
  • 宇多天皇に仕え(『東宝記』、『大和物語』)、 醍醐天皇御前で藤原清貫と対局した記録が残されている。(『西宮記』『古今著聞集』) 醍醐天皇との対局で黄金の枕を勝ち取り、寺を建立した逸話が残されている。(『古今物語集』)
  • 『源氏物語』「手習の巻」に碁聖大徳と記述があり、『源氏釈』などの注解書では寛蓮だと注解している。また勅を受けて棋書『碁式』を編んで醍醐天皇に献上したと伝えられている。
     (『碁式』とは囲碁に関しての礼法、戦術、用具など全般にわたる解説書。現存せず。玄尊著『囲碁式』〈1199(正治元)年成立〉に内容が継がれているとの伝えがある)
井上幻庵因碩(いのうえげんあんいんせき)
 1798(寛政10)年-1859(安政6)年  囲碁家元四家の一つ、井上家の11世。八段準名人。
  • 本因坊秀和らとともに囲碁四哲と称される。また、丈和との名人碁所を巡っての激しい争いは有名。また、秀策との対局(耳赤の一局)も知られている。
  • 松平家碁会において丈和と赤星因徹の「吐血の局」に関わったとされ、また、井上家の家格を上げるために暗躍したりと何かと話題が多いが、『囲碁妙伝』『奕図』『囲碁終解録』等現代でも通じる棋書を残す。 隠居後は清国渡海を企てて失敗したなどと逸話の多い人物であり、囲碁の外にも兵法家を自任していた。

  • 2. 今回のノミネート者
    寛蓮、中村道碩、安井算知、本因坊道知、本因坊察元、井上(幻庵)因碩、正力松太郎、趙南哲

  • 3. 過去の殿堂入り
    第1回特別創設記念表彰 徳川家康 、 本因坊算砂 、 本因坊道策 、 本因坊秀策
    第2回特別創設記念表彰 本因坊丈和
    第3回表彰 本因坊秀和 、 大倉喜七郎
    第4回表彰 本因坊秀甫
    第5回表彰 本因坊秀栄 、 本因坊秀哉
    第6回表彰 瀬越憲作
    第7回表彰 木谷實
    第8回表彰 岩本薫
    第9回表彰 安井算哲 ( 渋川春海 ) 、 陳毅
    第10回表彰 喜多文子
    第11回表彰 橋本宇太郎
    第12回表彰 呉清源

この件に関する問い合わせ先

日本棋院囲碁殿堂資料館 : 03-3288-8601